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神戸地方裁判所 平成6年(ワ)2478号 判決 1996年8月26日

原告

甲野花子

甲野一夫

甲野春子

右三名訴訟代理人弁護士

池口勝麿

被告

エイアイユーインシュアランスカンパニー

(エイアイユー保険会社)

右代表者代表取締役

トーマス・アール・テイジオ

日本における代表者

吉村文吾

右訴訟代理人弁護士

服部邦彦

大木卓

花﨑浜子

主文

一  被告は、

1  原告甲野花子に対し、金七五〇〇万円及びこれに対する平成五年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

2  原告甲野一夫に対し、金二五〇〇万円及びこれに対する平成五年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

3  原告甲野春子に対し、金二五〇〇万円及びこれに対する平成五年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

それぞれ支払え。

二  原告甲野一夫及び原告甲野春子のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを六分し、その一を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は原告ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  原告らの請求

被告は、

1  原告甲野花子に対し、金七五〇〇万円及びこれに対する平成五年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

2  原告甲野一夫に対し、金三七五〇万円及びこれに対する平成五年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

3  原告甲野春子に対し、金三七五〇万円及びこれに対する平成五年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

それぞれ支払え。

第二  事案の概要

一  訴外亡甲野太郎(以下「亡太郎」という。)は、平成五年五月二三日午前三時五〇分ころ、海外旅行先の米国カリフォルニア州ビバリーヒルズ市内にあるザ・リージェント・ビバリー・ウィルシャー・ホテル(以下「本件ホテル」という。)において、滞在中の客室から転落死しているのを発見されたところ、本件は、亡太郎を被保険者とする別紙保険目録記載の傷害保険契約の保険金受取人である原告らが、保険者である被告に対し、右死亡による保険金(同目録(1)の保険契約に係る死亡保険金二五一三万円については内金二五〇〇万円)の支払を求め、被告において右死亡が自殺によるものであって保険事故に該当しないとして、その保険金の支払義務を争った事案である。

二  争いのない事実

以下の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

1  亡太郎(昭和九年二月一一日生、死亡時五九才)は、昭和三三年に原告甲野花子(昭和七年九月三〇日生)と結婚し、長男である原告甲野一夫(昭和三五年五月一日生)、長女である原告甲野春子(昭和三七年二月六日生)をもうけた。

亡太郎は、もと小学校教員であったが、大手スーパーマーケット「イズミヤ」を経営する株式会社いずみや(以下「いずみや」という。)に転職し、監査役、取締役、社長室長、人事部長などの要職を歴任しながら同社に一一年間勤務し、その後退職してコンサルタントを業とする株式会社ブールバードを設立し、倒産に至るまでの約一〇年間大手スーパーの出店に関するコンサルタント業務などに携わっていた。

亡太郎は、昭和六二年四月に、乙田芳子(以下「乙田」という。)とともに資本金九〇〇万円をもって有限会社ティーエムアイ(亡太郎と乙田以外に従業員はいない。以下「TMI社」という。)を設立し、不動産に関するコンサルタント業務に携わっていた。

2  亡太郎は、平成五年五月一九日(以下、平成五年五月の日付は、年号と月の表記を省略する。)に日本を発ち、二日間香港に滞在した後、二一日に成田経由で米国ロサンゼルスに到着し、その日のうちに、ロサンゼルスでの常宿にしている本件ホテルの南館四八三号室(中庭のプールが見える客室)に宿泊した(二四日まで宿泊予定)。

亡太郎は、二一日の夜、金髪の白人女性の売春婦アンナ・アクバーガー(以下「アンナ」という。)を部屋に呼び、代金一五〇ドルを支払ってマッサージをしてもらい、その際、アンナと翌日の夕食を共にする約束をした。

亡太郎は、二二日、南向きのバルコニーから真下にプールを見渡すことができる六階の六七九号室(以下「本件客室」という。)に部屋を変え、昼間は競馬に興じた後、午後一一時一六分、シーザーサラダ、スモークサーモン、ロブスター・ビスク等の食事と白ワインのルームサービスを注文し、午後一一時三〇分から四五分までの間に本件客室に来たアンナに前金で三〇〇ドルを支払った。

亡太郎が注文した食事は午後一一時四五分ころ本件客室に届けられ、亡太郎とアンナは、二人でワインを飲みながらその食事をとり、その後、アンナは、二三日午前一時〇〇分から一時三〇分までの間に本件客室を退出し、アンナの送迎役兼用心棒としてホテル前に駐車中の自動車内で待機していた夫のボブ・アクバーガー(以下「ボブ」という。)と落ち合った(本件ホテルの警備員は、アンナが本件ホテル退出の際エレベーターからロビーに出るところを確認している。)。

3  亡太郎は、右食事の後二三日午前三時五〇分ころまでの間に、本件客室のバルコニーからその真下のプールテラスに落ちて叩き付けられ、その際に受けた複合打撲傷害(右肋骨骨折、右骨盤骨折のほか数か所の打撲傷)によって死亡し、二三日午前三時五〇分ころ、本件ホテルを巡回警備していた本件ホテルの警備員によって、裸足の状態でブリーフとバスローブをまとい、仰向けになった死体の状態で発見された。

亡太郎の身長は約一五七センチメートルであり、バルコニーの手すりまでの高さは約一〇九センチメートルであった。

亡太郎の死体の両大腿部の後ろには、足先から頭部に向かって加えられた長さ約六インチの皮膚のしわ寄せ(足先から頭部に向かう擦過痕)があり、その血中アルコール濃度は0.12パーセントであり、その血液から、一ミリリットル当たり0.90マイクログラムのダイランティン(発作抑制剤)及び10.00マイクログラムのフェノバルビタール(催眠剤)が検出されたが、麻薬類は検出されず、また、死体の後部咽からは、喫煙パイプの破片が発見された。ダイランティン及びフェノバルミタールはてんかん発作抑制のために服用されていたのであるが、濃度は低いものである。

4  亡太郎の死体のそばには、スリッパ一足及び喫煙パイプの火皿部分と柄の部分とが分かれて発見され、遺体のすぐそばに立てかけてあった日除け傘の布地には煙草の火で焼けたような跡があった。

亡太郎の死体が発見された直後の本件客室の扉は自動ロックはされているものの内側から二重の施錠がされておらず、浴室とベッドには使用した形跡が認められるが、室内及びバルコニーともに争った形跡や荒された形跡はなかった。

室内のルームサービス用カートには、二人前の食事の跡、空になったワインの瓶一本、少しワインが残っているワイングラス二個があり、ベッドの上には折り畳んだパジャマが置かれたままで、テレビ、電気スタンドはつけ放しであった。

また、室内やワイングラスなどの食器類からは、アンナの指紋もボブの指紋も一切採取されなかった。

六七五号室及び三八一号室の宿泊者は、二三日午前二時〇〇分ころから二時三〇分ころまでの間に、物と物がぶつかるような騒音を耳にしているが、人の叫び声などは耳にしていない。

5  亡太郎の遺留品についてみると、室内のテーブルには、ロサンゼルスタイムズ紙、競馬プログラム、競馬の申込用紙、番号を書いたメモ、ブレスレット、部屋の鍵、小物入れ、喫煙具一式、缶入りのパイプ煙草、腕時計、金のネックレスなどが置かれたままになっており、スーツケースの中には、パスポート、日本通貨で五万四〇〇〇円の現金、米国通過で一八六八ドルの現金、一〇〇〇ドルのトラベラーズチェック、九枚のクレジットカード、コリンズ・サプライ社の書類ホルダー、亡太郎の出張計画を示す日本航空の日程表、てんかん用の医薬品、てんかん治療に関する書簡、亡太郎が手掛けていた事業の計画書及び設計図書、帰国用の航空券、香港で購入した土産用の香水、サンフランシスコ・ロサンゼルスの観光地図、推理小説、カメラ、「中国における不動産及び運営の実務」と題する冊子、茶色い髪の女性写真、衣類(スーツ、ジャケット、ポロシャツ二枚、ネクタイ二本、ベルト二本、ハンカチ三枚、靴下二組、半袖シャツ四枚、パンツ四枚、すててこ二枚等)などがあった。

6  ビバリーヒルズ警察は、自殺他殺の両面から亡太郎の死亡事件を捜査し、アンナ及びボブに疑いをかけて事情を聴取し、平成五年一一月一六日には両名をポリグラフ検査にかけたが、犯行を裏付けるような反応は得られず、平成六年四月一三日付けで、本件事故については、他殺の可能性を裏付ける証拠がなく、自殺の可能性も否定しきれないとの捜査報告書をまとめて捜査を終了した。

7  亡太郎は、株式会社日本ダイナースクラブ(以下「日本ダイナース」という。)が発行するダイナースカードの会員であったところ、昭和五二年一〇月、被告との間において、亡太郎を被保険者とする別紙保険目録(1)の普通傷害保険・ダイナースニュービップ保険に加入する旨の保険契約を締結した。

日本ダイナースは、昭和五四年一二月、被告との間において、日本ダイナースを保険契約者としてダイナースカード会員である亡太郎を被保険者とする同目録(2)の海外旅行傷害保険・ダイナース海外旅行保障制度に加入する旨の保険契約を締結した。

日本ダイナースは、ダイナースカード会員が海外旅行をした際に自動的に被保険者となる同目録(3)の海外旅行傷害保険・ダイナースインターナショナルカード附帯サービス保険について、被告との間において包括的な合意をしているところ、亡太郎は、平成五年四月以降、その被保険者となっている(以上の三つの保険をあわせて「本件傷害保険」という。)。

本件傷害保険の保険期間、死亡保険金の額、保険金受取人等は同目録に記載のとおりである。

8  別紙保険目録(1)の保険については被告の「普通傷害保険普通保険約款」が、同目録(2)の保険については被告の「海外旅行傷害保険普通保険約款」が、それぞれ適用される(以下、これら二つの約款の一条一項及び三条一項を共に引用する場合には「本件約款」という。)。

また、同目録(3)の保険についての約款である「ダイナースインターナショナルカード海外旅行傷害保険特約条項(個人会員・家族会員用)」は、その第一章一条一項及び第六章一四条により、保険事故や保険金を支払わない場合の定めに関し、右海外旅行傷害保険普通保険約款が適用されるものとしている。

そして、本件傷害保険が保険金支払の対象とする保険事故は、いずれも、被保険者が保険期間中に「急激かつ偶然な外来の事故によってその身体に被った傷害」であるが(本件約款一条一項)、被保険者の自殺行為によって生じた傷害に対しては保険金を支払わないとされている(本件約款三条一項三号)。

原告らは、平成五年八月六日、被告に対し、本件傷害保険に係る死亡保険金の支払を請求したが、被告は亡太郎は自殺行為によって傷害を負い死亡したものであるとしてその支払を拒否した。

三  争点

1  本件傷害保険に係る保険金の支払請求訴訟において、保険金請求者(原告ら)が傷害の発生が自殺行為によらないことについて証明責任を負うのか、それとも支払義務を否定する保険者(被告)が傷害の発生が自殺行為によることについて証明責任を負うのか。

2  亡太郎の死亡の原因となった傷害が自殺行為によるものかどうか(あるいは自殺によらないものかどうか)。

四  争点に関する当事者の主張

(被告)

1 本件傷害保険をはじめ、一般に傷害保険は、その約款により、「急激かつ偶然な外来の」という三要件を充足する事故による傷害のみを保険事故とするものとされており、保険金請求者は、保険金支払の対象となる保険事故の発生したこと、すなわち、当該傷害が生じたのが「急激」で「外来」の事故によるという点のみならず、これが「偶然」の事故によるという点をも含めて、保険事故の発生を主張立証しなければならない。この点は、生命保険が、単に人の死亡(又は生存)が保険事故とされているために保険金請求者において死亡原因を何ら立証する必要のないのと大きく異なるところである。

実際にも、事故による死亡は、被保険者の複雑な生活領域の中で生じ、保険者は事故のかなり後から事後的に事故原因を調査せざるをえないのであって、当該傷害が自殺行為によることの証明責任を保険者にあると考える場合には、保険者に余りにも困難な事実の立証を強いるもので妥当ではなく、一般的に被保険者の生活領域に近いところにあるとみられる保険金請求者に対し、当該傷害が被保険者の意思に基づかないとの点について、相当程度の立証の負担を負わせることに合理性がある。

さらに、近時の社会経済活動の多様化・複雑化に伴って、定額給付保険におけるいわゆるモラルリスクは増大する傾向にあり、これを極力回避するためにも、保険金の支払には相当程度の慎重さが要求されて然るべきであって、この観点からも、当該傷害が被保険者の意思に基づかないとの点については、保険金請求者に相当程度の立証の負担を負わせることに合理性があるというべきである。

2 本件においては、以下の事情に照らせば、亡太郎の死亡は自殺行為による傷害に起因するというべきであり、少なくともこれが「偶然」の事故に起因するということはできない。

(一) 本件ホテルは深夜も警備員による巡回警備が行われているが、二三日未明には不審な人物の出入りは確認されていないし、本件客室にも亡太郎の顔面や身体にも、同人が他人と争った形跡が全く発見されておらず、その遺留品の中には現金が含まれていたのであるから、亡太郎が強盗犯人などによって本件客室のバルコニーから転落させられた可能性はない。また、亡太郎の身長に照らせば、同人がバルコニーから過って転落することは考えられない。

したがって、亡太郎の死亡時の状況に照らせば、同人は自殺を図るためにバルコニーから飛び降りたとみるのが最も自然である。

(二) 次に、亡太郎は、死亡時において総額一億四〇〇〇万円以上の債務(その中には親しい人物からの借入れも含まれている。)を抱えており、カードローンの未払い金も三〇〇万円以上あり、これに対して預貯金は僅か一五〇万円程度しか有していなかった。

また、TMI社は、平成三年三月期に約三一〇〇万円の、平成四年三月期に約三五〇〇万円の、平成五年三月期に約四八〇〇万円の欠損を計上しており、その事業は赤字続きであり、平成五年三月には、TMI社が手がけていた米国アラバマ州の事業計画もとん挫していたのであり、亡太郎は、事業に行き詰まり、多額の借金の返済に苦慮し、債権者の追及を受け、神戸市灘区弓木町<番地略>所在の自宅(根抵当権が設定されている。)をも失って家族に迷惑をかけるおそれのある状況に陥っていたと考えられる。

そして、亡太郎は、米国において具体的な商談が予定されていたというわけではないのに米国に赴き、しかも、普段余り飲まないアルコールを多量に飲み、本件ホテルで死亡したのである。

(三) 原告甲野花子は、現地警察からの事情聴取に際し、亡太郎に金銭上の問題はなかった旨の虚偽と考えられる供述をしているし、原告甲野春子は、現地警察からの事情聴取に際し、亡太郎が死亡の前々日に同原告に電話をしているという事情も秘匿していたのであり、これら両原告の不可解な言動は後日判明した。

右(一)及び(二)の事情に加えて、何らかの不利な事情を秘匿したと考えられる遺族(保険金受取人)の態度を総合すれば、亡太郎は自殺を図って本件客室から飛び降りたものというべきである。

(原告)

1 本件傷害保険は、「急激かつ偶然な外来の」という三要件を充足する事故による傷害を保険金支払の対象とするが、その約款が「自殺行為」を保険者の免責事由として掲げているのであるから、「急激」「外来」という要件は保険金請求者が証明責任を負うが、「偶然」という要件については保険者が証明責任を負うものと解すべきである。

2 亡太郎の転落事故は他殺の疑いが強い。すなわち、(一) 本件客室のワイングラスからアンナの指紋が採取されなかったのであり、このことは誰かがこれを拭き取ったとしか考えられないこと、(二) 亡太郎は咽頭にパイプの破片を詰まらせていること、(三) 本件客室は内側から二重に施錠されておらず、自動ロックの施錠がされているだけであったこと、(四) 亡太郎の死体の両大腿部後方に下から上に向けて逆向け傷が存在していたことは、いずれも、亡太郎の転落が自殺行為によるというよりも、むしろ、他殺によるものであることを示唆する事情であるし、亡太郎には、自殺を動機付けるような事業の挫折や負債もなかった。

第三  争点に対する判断

一  争点1について

1  本件約款一条一項は、「急激かつ偶然な外来の」事故によって生じた傷害を保険事故として規定し、故意行為によって必然的に引き起こされた自傷事故による傷害が保険事故に該当しないことを明らかにしているが、本件約款三条一項は、「保険金を支払わない場合―その1」として、「被保険者の故意」によって生じた傷害(同項一号)及び「被保険者の自殺行為」によって生じた傷害(同項三号)を掲げ、保険金不払事由として自傷事故による傷害を重ねて規定している。

2  本件約款三条一項が列挙するその他の保険金不払事由についてみると、被保険者にとっては「急激かつ偶然な外来の」事故によって生じた傷害でありながら、保険者免責とされる事由として、(一) 地震、噴火または津波、医療処置、無免許運転等、戦争等による傷害(同項四号、六号、八号、九号)、(二) 保険金受取人にとって偶然性がない「保険金を受け取るべき者の故意」による傷害(同項二号)、(三) 当該傷害が社会通念上厳格な意味で「偶然」に生じたとは言い難い刑の執行による傷害や脳疾患・心神喪失による傷害(同項五号、七号)などが掲げられており、これら保険金不払事由は、「急激かつ偶然な外来の」という事故発生に関する三要件と両立する事由であり、訴訟においては、保険者がこれら事由を立証することによって初めて保険金支払義務の免責を受けることができる抗弁事実と解するほかないところである(当該事由の存否が証拠上不分明な場合には免責されない。)。

これら事由が保険者を免責する統一的な根拠というものも見い出し難いのであって、これら事由とともに、保険者を免責する場合として、自殺行為などの自傷事故によって傷害が生じた場合が列挙されていることからすれば、当該傷害が自殺行為などの自傷事故によるものであることも同様に訴訟においては抗弁事由と解するのが、本件約款の規定の体裁に照らして最も素直な解釈である。

3  そして、傷害保険が保険の対象とする不測の事故というものは、往々にして予期しない一瞬の出来事であって、その事故状況を事後に検証することが必ずしも容易ではないことに照らせば、当該傷害を生じさせた事故が被保険者の故意によって引き起こされたのかどうかが訴訟における証拠上も不分明であるという場合に、請求原因事実の立証がないものとして保険金請求が棄却されるという結果は、傷害保険の保険としての本質に必ずしも合致しないといわざるをえないし、不測の事故による経済的危険の回避を期待する保険契約者や保険金受取人に思わぬ不利益を課することになりかねない。

したがって、本件傷害保険については、被保険者(亡太郎)の傷害が自殺行為によるものであるとの保険金不払事由の存在につき、保険者(被告)が証明責任を負うと解すべきである。

4  被告は、傷害保険は生命保険とは異なり、「急激かつ偶然な外来の」事故による傷害のみを保険事故とするから当該事故の偶然性も保険金請求者が証明責任を負うと主張するが、およそ保険というものは常に偶然に発生する事実を保険事故とするのであって、傷害保険だけが偶然性のある事実を保険事故とするのではなく、保険事故の発生の偶然性という点に生命保険とは異なる傷害保険の特異な本質を見い出すことはできない。

そして、法が、生命保険に関し、自殺行為を例外的な免責事由として規定しており(商法六八〇条)、その事由がないことを保険金請求権の発生原因事実としてではなく、その事由の存在することをもって請求権発生の障害事実としていると解されることからすれば、傷害保険の約款の解釈においても、これと同様の解釈を採用することは、何ら傷害保険の本質に矛盾抵触するものではなく、被告の主張は直ちに採用することはできない。

なお、被告は、傷害保険制度におけるいわゆるモラルリスクの回避の観点から証明責任を論じているが、いわゆるモラルリスクを減少させる目的が正当なものであったとしても、既に述べたところを覆し、証明責任の解釈によって裁判による保険金請求権の確定をより慎重なものにすべきとまで考えることは、やはり困難といわざるをえない。

二  争点2について

1  次に、亡太郎が本件客室のバルコニーから転落して傷害を受け死亡したことが、自殺行為によるものかどうかという点について検討するに、まず、当事者間に争いのない前記事実に照らせば、亡太郎が本件客室のバルコニーから過って転落する可能性はないと考えられるから、その転落は、自殺か他殺のどちらかの可能性しかない。

仮に、亡太郎が飛び降り自殺をしたとするならば、亡太郎がその咽喉にパイプの破片を詰まらせていた点は、転落時の衝撃によるものと考えることになるが、飛び降り自殺を企てる者がパイプ(しかも前記事実からすれば、火がついたままのパイプということになる。)を口にくわえたまま転落するというのは、奇異な感を否めないのであって、急激な外力が加えられ、亡太郎の意思に反してパイプが同人の口内に押し込められたのではないかとの可能性が否定できないところである。

また、亡太郎の死体の両大腿部の後部には、下から上に向かって皮膚のしわ寄せ痕が残っているのであって、このことは、亡太郎がバルコニーの外で手すりを背にして足先を下にして手すりを擦るように落下した際の摩擦で生じたと考えられるが、このような飛び降り自殺というのも奇妙ではあり、亡太郎がその意思に反してバルコニーから転落させられた疑いが残るところである。

さらに、本件客室に残されたワイングラスをはじめ室内からアンナの指紋が一切採取されていない点も、誰かが指紋を拭き取ったこと、すなわち、亡太郎以外の人物で指紋を発見されたくない者が本件客室にいた疑いがある。

したがって、亡太郎の転落死の前後ころに本件ホテルで不審人物が確認されなかったとか、亡太郎の遺留品の中に現金が残っていたという被告主張の事実関係を前提としても、亡太郎の死亡時の状況からは、亡太郎の転落が飛び降り自殺であったと推認することは困難である。

2  被告は、亡太郎が多額の負債や事業の不振を苦にして自殺を図ったものであると主張するので、亡太郎の事業の状況や転落死に至る足取りなどに照らし、亡太郎が自殺を企てていたことを窺わせる事情があるかどうかについて検討する。

証拠(甲三ないし一一、一二の一、三八ないし四一、四四、検甲六、乙四、七、一一、一五ないし一七、一九、二〇の一・二、二一、二四、証人菰田稔夫、原告甲野花子本人)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 亡太郎は、いずみやを辞めた後、スーパー出店のための広大な土地取得に関連する地権者・行政の根回しなどコンサルタント業務に携わっていたが、その収入は、その仕事柄、一度に数千万単位の収入があるかと思えば、わずかな収入しかない時期もあるなど波があり、懇意にしていた知人からたびたび借財しては、大きな報酬が入ったときにこれを返済するということを繰り返していた。

(二) 亡太郎は、乙田とはいずみや勤務時代から愛人関係にあり、他に、いずみや勤務時代の部下である丙沢正子(以下「丙沢」という。)との間に子ども(丙沢正男、米国ニューヨーク在住)をもうけるなど、亡太郎の私生活は、妻を顧みないものであり、妻である原告甲野花子も、亡太郎の女性関係については諦めの気持ちを持っていた。

(三) 亡太郎と乙田が経営するTMI社は、三重県松阪市所在の自動車部品メーカーであるトライス株式会社(以下「トライス社」という。)の米国進出を手掛けたことから、亡太郎は、トライス社に請われて報酬九一万ドルで米国アラバマ州アセンズ所在のトライスUSA社の社長に就任して、平成二年初頭から平成四年一一月末日まで約三年間、原告甲野花子とともに同州に滞在し、その間、現地の日本語学校の校長や現地の日本人会の会長に就き、多くの日本企業の要人と知り合った。

亡太郎は、任期満了により、トライスUSA社の慰留を断って同社の社長を退任し、平成五年一月に帰国したが、その際には、日本人で二人目のアラバマ州名誉州民に選ばれた。

(四) 亡太郎は、在米日本人会社員の生活実態をよく知るようになったことから、TMI社の次の事業として、乙田及び旧友の一級建築士である鷹見作平(以下「鷹見」という。)とともに、米国へ進出している日本企業の熟年単身赴任者のための賄い付きマンションの経営を計画し(この事業は、グリーンヒルズ計画と名付けられた。)、米国アラバマ州ハンツビル及びジョージア州アトランタをその事業の候補地とした。

右事業においては、亡太郎がアラバマ州アセンズに常駐して、土地の確保や各種許認可の申請などの業務を担当し、鷹見が日本での必要業務を担当し、乙田が両親とともに渡米して賄いを担当する計画であった。この事業には、初年度に自己資金二四万ドル、銀行借入六〇万ドルの計八四万ドルを要すると見積もられていたが、着工前に顧客から予約金が入れば準備資金はそれだけ低くなる見通しであった。

そのため、亡太郎は、転落死した海外渡航の直前に、いずみやの役員に、二〇〇〇万円の借入れを申し入れ、帰国後改めて相談に乗って欲しい旨を申し入れている。

(五) 右事業においては、米国進出の日本企業を顧客として獲得することが最も重要であったところ、アラバマ州における事業展開について現地で協力を依頼していたJ.T.コリンズ(建築請負会社の経営者)は、平成五年三月一八日付書簡で、亡太郎に対し、アラバマ州における事業が時期的には最善でない旨を助言していた。そこで、亡太郎ら、鷹見の提案により、三年後にオリンピックが開催されるジョージア州アトランタでの事業を進める方針を決め、亡太郎は、平成五年三月、四月にも事業の準備のために渡米していた。

鷹見が平成五年五月上旬に右事業の最終計画書を完成させたので、亡太郎は、アトランタにおける需要調査と顧客の斡旋を依頼するため、トライス社の取引先であり、旧知のアトランタ在住の木村キョマサ(三菱インターナショナル副部長)と同月二五日に面会するため、同月一九日、右事業計画書などを携えて日本を発ったが、鷹見から中国青島市に完成する高層ビルのテナントの斡旋依頼をも受けていたため、香港に立ち寄った(ただし、商談は進展していない。)。

(六) 亡太郎は、転落死の直前の平成五年五月二二日には、右木村キヨマサに面会約束の再確認を取り付け、前記丙沢正男に「米国に来ているが、何か必要なものはないか。」などと電話をし、さらに、亡太郎は、米国在住の友人村上某の家に電話して、同人の妻に対し、「後日ロサンゼルスにて村上に会いたいがアトランタから電話する。」旨を伝えている。これら電話の相手方は、亡太郎に特段異常な様子があるとは感じなかった。

(七) 亡太郎は、死亡時において、東芝ファイナンスに対する六〇九八万二六八五円の、ビッグコーポレーションに対する一七六四万円の、兵庫ワイドサービスに対する一〇八〇万円の、福徳銀行に対する七二〇万円の、京都銀行に対する三三六万五〇〇〇円の、乙田の父乙田政吉に対する四〇〇〇万円の、丙沢に対する一六七〇万円の、いずみや役員の和田昭男に対する一五〇〇万円の借入金債務を負担していたほか、カードローン等の三〇三万二一〇〇円の未払債務を負担していたが、抵当権の実行や強制執行を迫られているという状況はなかった。TMI社は殆ど資産を保有せず、累積債務が平成五年三月期末時点で四八〇〇万円に達していた。

亡太郎の資産としては、神戸市灘区の前記自宅(借地権付き)一〇八一万〇九八九円、有価証券六六万〇〇二〇円、預貯金一五六万一八八三円、ゴルフ会員権三一五〇万円などがあった。

(八) 原告甲野花子は、亡太郎の死亡により、郵政省の簡易保険、全労災、日本生命、住友生命、平和生命から生命保険金等として金二億一二五六万八九九〇円を受領している。

3 右認定のとおりであって、確かに、亡太郎は多額の債務を抱えており、TMI社の経営も順調ではなかったことが明らかである。

しかし、亡太郎の債権者にはいわゆるサラ金などといった街金融の業者はなく、亡太郎は、債権者の厳しい追及を受けていたわけではないし、自宅以外のめぼしい資産であるゴルフ会員権さえ手放していなかったものであって、限界まで借金をした果てにその負債の弁済に窮する状況に陥っていたとまではいえない。TMI社の経営が順調でなかったという点についてみても、同社は亡太郎が愛人と始めた個人事業であること、業務の規模や性質からみて会社の収益にも波があると考えられることからすれば、累積債務を抱え、未だ収益をあげる見込みが不明な新規事業を企画している状態が、その経営者の亡太郎を追いつめていたとは容易に考え難い。

また、転落死した最後の渡米は、事業(グリーンヒルズ計画)を進めるための顧客確保を目的としたものであり、渡米の動機や渡米に至る経過にも特に不自然な点は見当たらないし、渡米後の行動にも自殺を企てていたことを思わせる事情も見当たらない。

もし、亡太郎が渡米中の自殺を企てていたとすれば、渡米後の行動は自殺を事故ないし他殺とみせかけるための偽装工作ということになるが、そのように考えるべき事情は何も窺えないし、むしろ、前記争いのない事実や右認定事実から窺える亡太郎の人物像は、借金や事業の不振、家族への迷惑というものを深刻に考えるうちに生きることへの執着を失うような人物像とは全く異なるのであって、渡米後の亡太郎の行動を偽装工作というには余りにも飛躍があるといわなければならない。

4 以上のとおりであって、亡太郎が、被告の主張するように、負債や事業の不振を苦にして本件客室から飛び降り自殺をしたことを推認できる事実関係については、これを認めるに足りる証拠が十分ではないといわざるをえない。

三  結論

以上の次第で、被告は、原告に対し、本件傷害保険に係る死亡保険金を支払う義務を負うところ、別紙保険目録(1)及び(3)の保険に係る死亡保険金の受取人は法定相続人であり、その約款(乙一二、一三、一四の二)中には法定相続分に従って保険金を支払う旨の規定はないから、それら死亡保険金に係る原告らの債権は分割債権となり、また、被告の本件傷害保険に係る死亡保険金の支払義務は、遅くとも平成五年一〇月末日までに催告によって遅滞に陥ったということができる。

よって、原告らの本訴請求は、主文の限度で理由があるので、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官渡邉安一 裁判官橋詰均 裁判官山城司)

別紙<省略>

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